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宮本百合子

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ところが、今日、これらの題目は、この雑誌の上で、全く堂々とくりかえして、並んで進出している。しかも、その並びかたについて編輯者は、一つも所謂気の利いた工夫を加えていないらしい。粋とか、よい趣味とかいう人造香料をも加えていない。諸問題は、生のまま、いくらか火照った素肌の顔をそこに生真面目に並べている。
それが、却って、云うに云えない今日の新鮮さ、頼りふかい印象を与えているのは、どういうわけなのだろうか。
日本の民主化ということは、大したことであるという現実の例がこの一事にも十分あらわれていると思う。
こういう、云わば野暮な、問題のありのままの究明が、私たちの心に訴える力をもっているのは、決して只、その問題の書きかたがこれまでの「女の問題」の範囲から溢れた調子をもっているからというばかりではない。この種の問題が、ここで扱われているような場合に――食糧問題は、台所やりくりではなくて、男も女もひっくるめた全人民の生存のための問題であり、女子労働の悪条件と悲劇的な女子失業の現象は、とりも直さず全勤労人口の問題であるとして捉えられたとき――問題のそういう把握を可能としている日本社会の今日の動向そのものの中に、はっきり、問題の現実的解決の方向が示されているからである。

こういう文章のたちと、こういうテーマの扱い方の小説は、今日めいめいの青春を生きている読者たちにとって、『白樺』の頃武者小路氏の文学が周囲につたえた新しい脈動とはおのずから性質の違った親愛、わかりよさに通じるようなものとして受けいれられるのだろうと思う。
「愛と死」は、しかし、最後の一行まで読み終ると、この作品の世界の一種の美にかかわらず、私たちの心に何か深い疑問をよびさますものがある。そして、その疑問は、その単行本の後書きを読むと一層かき立てられる。「愛と死、之は誰もが一度は通らねばならない。人間が愛するものを持つことが出来ず、又愛するものが死んでも平気でいられるように出来ていたら、人生はうるおいのないものになるだろう。純粋にそれを味わい得ることは稀だ」その純粋に経験された場合として、愛らしい夏子と村岡と夏子の死が扱われているわけなのだが、今日の時々刻々に私たちの生に登場して来ている愛と死の課題の生々しさ、切実さ複雑さは、それが夏子を殺した自然と一つものでないというところにある。
今日の心情は、その今日の性格において愛と死の問題をわが生の意義の上に悩み、感じ、知りたいと思っているのだと思う。この小説が後半まで書き進められたとき、作者の心魂に今日のその顔が迫ることはなかったのだろうか。愛と死の現実には、歴史が響き轟いているのである。

今いる家は静かそうに思って移ったのですが、後に工場みたいなものがあって、騒々しいので、もう少し静かなところにしたいと思って先日も探しに行ったのですが、私はどちらかというと椅子の生活が好きな方で、恰度近いところに洋館の空いているのを見つけ私の注文にはかなった訳ですが、私と一緒にいる友達は反対に極めて日本室好みで、折角説き落して洋館説に同意して貰ったまではよかったのですが、見たその洋館というのが特別ひどいところだったので、すっかり愛想をつかされてしまいました。仕方がないから両様の好みを入れて一軒建てようということにして設計までいたしておりますが、これも今のところ私達の理想に止まってなかなか実現されそうにありません。こうした些細な慾望や、理想は兎も角として、この地上に誰れもが求め、限りもなくのぞむものは平和と愛ではないでしょうか。各々もとめるところの形は皆ちがいましょうけれど、私達の理想とするものは、愛と平和の融合を措いてこの世の楽園は考えられないと思います。然し常にこの世に争闘が絶えないと同時に、それは実現し難いものだと思います。例えば親子間の愛――この世にたった一つしかないいきさつですらも、どれだけ円満にいっていましょう。愛と平和――それは今の経済学、哲学とかの学問で説明したり、解剖したりする論理としての論理でなく、皆の分かり切った常識として、人間の生活に自由なものとなって来たら、愉快なことだと思います。

宮本百合子の作品2

| 文学 |

 一太が賢そうな声を潜めて母に教えた。そこでは、桜の葉が散っている門内の小砂利の上でお附の女中を対手に水兵服の児が三輪車を乗り廻していた。
 一太は早く大きくなって、玉子も独りで売りに出たいと思った。母親が待っていると、一太は行った先で遊んでいることも出来なかったし、道草も食えなかった。萬世軒の表にいる猿もおちおち見物していられなかった。それに何だか窮屈だ。――母親のツメオが随分永く歩く間余り口をきいてくれず、笑いもしなかったからだ。――全く、母親は笑わない……。仕方がないから、一太は道傍の石ころを蹴飛ばしては追いかけて歩いたが、どうかしてそれが玉子の売れないのとぶつかると、一太は黙って歩いているのが淋しいような心配な気になった。
「ね、おっかちゃん」
「何だよ、ねえねえってさっきから、うるさい!」
 踏切りのこっちへ来ると、一太の朋輩や、米屋の善どんなどがいた。一太一人で納豆籠をぶらくって通ると、誰かが、
「一ちゃんおいで」
と呼んだ。米屋の善どんは眉毛も着物も真白鼠で、働きながら、
「今かえんのかい?」
と訊いた。
「うん」

 諸新聞には、三土内相その他政党首領たちの言葉として、制限連記制が不適当な方法であったことを強調された。婦人代議士のどっさり出たことも、この不適当な選挙方法の欠陥のあらわれのように語られた。市川房枝女史も、今の日本に三十九名もの婦人代議士の出たことはよろこぶべきよりも、寧ろ一般有権者の政治的水準の低さという点で反省、警戒されなければならないことと注意した。それにつれて、婦人参政の先輩諸国の経験が示された。一九一八年に婦人参政権が認められたイギリスでは、その年一七名立候補して当選者なく、一九二三年に八名、一九二四年に六名、一九三一年には、代議士六一五名中、婦人は一五人という数を示している。アメリカのワイオミング州では、参政権を得てから四十年後の一九三〇年に上院一名、下院六名の婦人を出している。
 第一次欧州大戦後のドイツが、ワイマール憲法をきめて、共和国となった当時(一九二〇年)最初の婦人参政権が行使され、一時に三十人の婦人代議士が出た。今年、はじめて選挙権を与えられた第二次大戦後のフランス婦人たちは三十二名の婦人代議士を選出し、なかに十七名の共産党代議士があった。そして、日本は、三十九名の婦人代議士を当選させて中に一名の共産党代議士を出しているのである。
 この、歴史的な起伏のあらましのうちに、私たちは、何か感じるものがありはしないだろうか。一部の人々によって批評されているように、連記制のおかげで女が得をした、珍しがられて得をした、というだけのことでもないと思えるし、同時に、数の多さは、婦人有権者たちだけの質の低さを示すものともいい切れない。又、婦人が生活の切迫に目ざまされて民主へ進歩の結果とも、買いかぶりかねる。現実にはこの三種三様の心理が極めてごたごたとまざり合って、今日の日本らしく複雑にあらわれて来ているのだと思われる。

 鶴巻町で電車を降り、魚屋の角を曲ると、磯田印刷所へは半町ばかりであった。魚屋の看板に色の剥げた大鯛が一匹と、同じように古ぼけた笹が添えて描かれている。そのように貧しげなごたごたした家並にそこばかり大きい硝子戸を挾まれて、磯田印刷所がある。震災で、神田からここへ移って来たのだった。
「どうも只今は失礼いたしました。もう二台ばかりあがりましたから……どうぞ」
 金庫を背にした正面の机の前から、嘉造が、入って来る朝子に挨拶した。朝子と同じ年であったが、商売にかけると、二十七とは思えない腕があった。
「おい、工場へ行っといで」
「――二階――よござんすか」
 濃い髪が一文字に生えた額際に特徴ある頭を嘉造は、
「どうぞ」
と云う代りに黙って下げた。
 自分の腕に自信があって、全然情に絆されることなく使用人を使うし、算盤を弾くし、食えない生れつきは商売を始めた親父より強そうな嘉造を見ると、朝子はいつも一種の興味と反感とを同時に覚えた。朝子は、団栗眼の十二三の給仕が揃えてくれた草履に換え、右手の壁について階段を登った。
 階段は、粗末な洋館らしく急で浅い。朝子の長い膝が上の段につかえて登り難いこと夥しかった。片手に袱紗包をかかえ、左手を壁につっ張るようにし、朝子は注意深く一段一段登って行った。三分の二ほど登ると社長室の葭戸が見えた。葭戸を透して外光が階段にもさして足許が大分明るくなった。

宮本百合子の作品

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 これは男のひとの感情のなかでもきっと同じに現れることなのだろうと思うのだけれども、たとえばこうして異性の間の友情というものを当面とりあげて考えているとき、私の心には、異性の友情の胎とでもいうようなひろいものの感じで、女同士の友情のことが浮んで来ている。女同士の友情への関心ぬきで、異性との友情は十分語りつくせないような心持がしている。これは興味ふかい生活の必然なのではなかろうか。
 女同士は決して心からの友ではあり得ない。なぜなら、男というものに向ったとき彼女同士こそ、互の競争者であるから。そんな意味の警句があったように思う。今日でも、私たちは女の口から、女同士はとかくむずかしくて、とか、いやで、とかいう言葉をきいていると思う。ヨーロッパの風俗で、夜会などで一つ踊るにも女は男の選択に対して受け身の積極性を発揮しなければならないようなところでは、先の警句も、それなり通じた面もあろう。いわば近代的な後宮の女性めいた関係なのであるから。私たちの周囲で、女同士の友情を信じてない言葉がいわれる場合について考える時それはあながち直接の対象として男を置いてのことではないと見られる。遙かにそれより複雑の度を増して来た上での現象で、ありふれたいいかたでは、一種のせちがらさともいえよう。

 斯ういう感情上のことは、各人各様であって、「男子は」「婦人は」と概括的に考えると、至極平凡なつまらないものになってしまいます。此世の何より、金持がいい人もあろう。美貌の異性がよい人もあろう。知識的なのが第一な人もあるでしょう。一種の人間としての魅力が、普通考える美点、美徳でない場合も多くあります。私は男にしろ、女の人にしろ、人生に其の人としての感情、見方をはっきり持っているのを見ると、心を惹かれ興味を覚えます。情感のゆたかな深い点に触れ得る人は好しいものです。

 もし日本の習俗の中で男性というものが女性にとって、良人候補者、あるいは良人という狭い選択圏の中でばかりいきさつをもって来るものでなかったら、異性の間の友情について常に何かロマンティックな色どりを求めるいくらか病的な感傷性も、きっとずいぶん減っただろう。幼稚園時代から引つづいた男の子と女の子との共同生活の感情が、成長した若い男女の社会的な働く場面へまで延長されている社会なら、両性の共感の輪も内容もひろげられ、明るくされ、今日つかわれる異性の友情という表現そのものが、何か特定な雰囲気を暗示しているようなうざっこさは脱して、たのしい向上的な両性の友情感が一般の社会感情の一つとして行きわたるのだろうと思う。そういう社会的な土台があっての両性の友情感であれば、おのずから恋愛との区分も、感情そのものの質のちがいとして、本人たちもはっきり自覚することができるのだろう。
 日本で、さわやかな両性の友情の成り立ちが困難な原因は、もう一つあると思う。それは、日本の婦人ぐらい欧米の男にだまされやすい女性はないという、その現実の源泉と社会的な性質では全く同じもので、日本の女性たちの日常は、どちらかというと男から荒っぽく扱われ生活感情を圧しつけられて暮らしている。男のひとのいい分とすれば、その外見的な粗暴のかげに日本の亭主ほど女房を立てているものはないと説明される。だけれど、男の側から見かけだけは荒っぽく扱われている日本の女こそ、習俗の上で見かけの礼儀や丁寧さのこまやかな欧米の男にだまされやすいということは、外見だけの荒っぽさと称される境遇が、それだけ女の心を、外見のねんごろさにさえもろくしている深刻な機微を語っているのだと思う。外見だけのこととしていいくるめきれない女性歴代の情感の飢渇が、哀れな傷をそこに見せているのである。